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ハイキングクラブみどりの風のはじまり

1981年7月 市民登山教室の参加者を元に発足。

市民登山教室:主催、北海道道央地区勤労者山岳連盟、後援:札幌市教育委員会など)

登山教室終了後も「仲間ができてこそ楽しい登山もできる」という気持ちから、幹事会を設けて継続的に活動を行うこととした。

毎月のように参考を計画し、交流のための機関紙「あるぴーの」もスタート。また次のリーダー育成も含めて、訓練と経験を重ねていきました。

1981年12月 会則を定め『ハイキングクラブ みどりの風』という名称の会を結成し、新たなスタートをきった。

スタートに当たり、私たちが大事にすることを確認した。

私たちが大事にすること


1.私たちの会は少数精鋭の登山家を作り出すことは目的としない。


2.ある特定の登山目的のために会員を選別するような事はしない。


3.会は、ハイキング・軽登山を基盤として、私達自身の生活の一部として、気軽に、老若男女を問わず、家族ぐるみで、楽しく安全な山行を行うことを目的とする。


4.会と個々の会員との結び付きを最大限大切にし、末永く会を維持して、私達が山と自然に親しむよりどころにして行く。


5.北海道道央地区勤労者山岳連盟に加盟し、より高度な登山、沢登り、山スキーなどに意欲を持つ会員が指導を受けられるようにすると共に、遭難対策についても指導、援助を受けられるように配慮する。

『Annies’s Song』「みどりの風」会名誕生秘話


1981年12月、会はスタートしたが、会の象徴であるべき名前はなかなか決まらず、結成総会は「ハイキング・軽登山の会結成大会」の名称で行わざるをえなかった。
結成後もいくつかの案が浮上したが決まらず、メンバーの投票で決めることになり、僅少差で「友岳会(ゆうがくかい)」という名前が最多となった。


これで決定か?・・・・というところで、
ある幹事から「この名前はこれからの私たちの活動内容とマッチしないのでは?」と意見が出て、長時間の議論の末、再度検討しなおす事になった。


そうした難産の末に「緑の風」という案が浮上した。
案の由来はカントリーミュージシャン、ジョン・デンバーの歌った『Annies’s Song(日本名:緑の風のアニー)』から取ったもので、その後「緑」の漢字を、「緑でも翠でも碧でも多彩な色に・・・」という思いを込めて「みどり」に変え、さらに自分達のフィールドを表す「ハイキング」を加えて、最終的に「ハイキングクラブ みどりの風」として正式な名前が出来上がりました。
じつに大変な難産の末の会名誕生だったのです。


私の拙訳で、『Annies’s Song』の一部をご紹介します

あなたは私をときめかせてくれる
森の夜のとばりのように
春の山々のように
雨の中をゆくように
砂漠の嵐のように
青い大海の流れのように
あなたは また 私をときめかせてくれる・・・・

この曲は素晴らしい名曲です。
そして「ハイキングクラブ みどりの風」は、
いつまでも残したい素晴らしい名前だと思っています。

 

2005.2.16 会長 佐藤

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